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北村孝章君

「浪人体験記」

北村 孝章 高津高校卒

 去年受けられる大学が無く、愛媛大学を落ち、自分で経験して初めて考えの甘さと大学受験の難しさがわかりました。
 現役時代、私立大学を合格できる二次力も無く、センター試験が5.2割りだったため、C判定の愛媛大学の前期試験のみで挑みました。結果落ちて、少し経った3月15日の朝に須原先生から電話をいただき、教室へ呼ばれました。そこで壮絶な説教と喝をいれられ、受験は最初の4・5・6月をいかに過ごすかが大事だ!と言われました。そこでこの一年間の勉強方針を決め、僕は土台の基礎が全く固まってないということで先生の言うことを素直に聞き入れ、浪人生らしからぬ数学例題演習の『カード』作りと『速単』のやり直しという『基礎』からやり始めました。ほぼ毎日教室に顔を出しカードは3月中に、速単も4月半ばには1回目が終わりました。
 4月になり予備校生活が始まりました。予備校はK塾。授業のスピードと知り合いがほとんどいないということで決めました。やはり浪人なりたて、やる気に満ちて頑張りました。予習に復習、通学・休み時間を利用して速単にと。教室にも毎日顔を出しました。
 6月第一回目の模試で愛媛大学A判定もらいましたが、伸びた科目は数学と化学で肝心の英語は伸びていませんでした。それでも勉強が少しずつ身についてきている実感があり勉強するのが楽しかったと思います。
 夏休みになり大型休日にはいりました。夏をどうのりきるかが合格を左右するといわれていたのでテキストのやり直しと速単、あとは夏期講習を利用したり…、といったかんじで同じことを繰り返して新しいことは特にはしませんでした。そして2回目の模試で広島大学A判定をもらい四国地方から中国地方へと進出しました。二回目の模試では理系科目が伸びていましたが、やはり英語は伸びませんでした。
 9月になると本格的に現役生が勉強に取り組むため、いかに今の成績を維持するかだとよくいわれました。しかし僕の場合はするべきことがたくさんあり、目標の大学に到底とどくような成績ではなかったので上げることだけを考えて勉強しました。そして英語が伸びていなかったので10月の最初の時期に速単をやめ、他の勉強をしました。すると模試で英語がさらに下がり、先生に『速単をしないためだ!』と繰り返し言われたためまた始めました。
 冬になりセンター試験にむけてさらに追い込みをかけ、センターの過去問も解きました。そんななか英語の過去問を解いている時でした。なんと突然英文が読めるようになったのです。点数も170点以上とれるようになり、8割をきらなくなりました。本当に驚きでした。
 そして、そのおかげで英語に自信がつき、須原先生との12月の第2回教室個人懇談会で、『英語はセンターで8割を取ります!』と言い切りました。懇談後はセンター試験まで地理を毎日しましたが、あっという間にセンター試験当日となりました。
 センター試験は試験場が近くということもあり朝はゆっくりできましたが、やはり浪人、あとが無いということで緊張しました。けれども試験が始まると周りの鉛筆の音なども気にならず1日目があっという間に終わりました。2日目になるとやはり自己採点してくる人が結構いて話しが聞こえてきました。個人的に英語のできがいまひとつだったのに周りが英語は簡単だったと言っている話を聞いたので、やはり英語は駄目だったのかと悔しくなりました。試験は理系科目だったので、模試どおりやりました。
 次の日、センター試験の自己採点をしようとしましたが緊張と不安でなかなかできず9時ぐらいに心配している英語から採点し始めました。自分の予想とは違い8割ありその安心から残りはすらすらと進みました。予備校や高校へ行き合格判別シートへ記入して、よい結果をまちました。しかし現実は甘くありません。第1志望の神戸大学は合格可能性最終ボーダーにいると予備校の先生につげられました。その結果を持って、須原先生と相談しました。広島や岡山は合格圏内にいたので勧められましたが、父親との問題で家から通える範囲と決められていたので受けられません。さらに合格できるところと父から言われていたので冒険となる大学も受けられません。僕は自分の実力を信じることもできず受ける勇気も無く、神戸大学を受けることを諦めました。『もし現役だったら…』と残念に思いました。受ける大学は京都工芸繊維大学に決め、2次試験に向けてラストスパートをかけました。
 全く考えていなかった大学を受けることになり、傾向と対策に苦労しました。しかし幸運なことに苦手な英語が自由英作と和文英訳で45%を占めていて、見事に『速単』が役に立ちました。2次試験までの1ヶ月半はあっという間であまり覚えていません。
 2次試験当日事件は起きました。余裕をもって開始1時間前に着く手はずで家を出発し、電車に乗りました。大阪駅の6番線で電車を待っていると、なんと9番線から電車が行ってしまうではありませんか。ちょうど1週間前に下見に行ったにもかかわらず間違えてしまいました。慌てて9番線に行き次の急行に乗っていきました。次に駅に着くとこれまた改札が前とは違うではありませんか。さらに突然の腹痛におそわれトイレに行きました。ひと段落し、出てくるとそこには見たことがない景色が広がっているのです。そう、迷子になったのです。
 1時間の余裕があったため間に合いましたが、幸か不幸か、到着したことでの達成感からか、試験は全く緊張せず模試を受けている感覚に近かったです。2日目はきちんと大学に着き前期試験が終了しました。中期試験もあったので前期試験は落ちたと考えて、試験が終わったその日から予備校に行き再び勉強を始めました。しかし集中力は以前ほどありません。合格発表までのこの時期が一番つらかったです。合格発表の日、中期試験と重なっていたので結果を確認したのは家に帰ってからでした。無事大学に合格していてほっとしました。
 浪人をしてきちんと勉強をして初めて大学受験を経験したと言えると思います。先生には『去年ダメだった大学に合格できたら1年間よく努力した証拠だ。まして2つ3つ上の大学に合格するのは並大抵の努力じゃできない』と言われていてその言葉通り僕は神戸大学を受験することすらできませんでした。『あの時もっと頑張っていたら…』と言い出すとキリがありませんが、おそらくこの結果は自分ができる最善の結果だったと考えます。
 浪人は多額のお金がかかり大変な迷惑をかけた親に感謝し、また学校の先生や須原秀和先生・きよみ先生、そのほかお世話になった方々に本当に感謝しています。
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